鈴木隆行

鈴木 隆行(すずき たかゆき、1976年6月5日 - )は、茨城県日立市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワードミッドフィールダー[2]。元日本代表日立市立泉丘中学校茨城県立日立工業高等学校卒業。

鈴木 隆行
名前
愛称 師匠[1] 
カタカナ スズキ タカユキ
ラテン文字 SUZUKI Takayuki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1976-06-05) 1976年6月5日(47歳)
出身地 茨城県日立市
身長 182cm
体重 75kg
選手情報
ポジション FWCFLWG[2]
MFLSH[2]
利き足 左足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-2005 日本の旗 鹿島アントラーズ 87 (17)
1997 ブラジルの旗 CFZ(loan) 21 (7)
1998 日本の旗 ジェフユナイテッド市原(loan) 7 (0)
1999 ブラジルの旗 CFZ(loan) 5 (0)
2000 日本の旗 川崎フロンターレ(loan) 11 (0)
2002-2003 ベルギーの旗 KRCヘンク(loan) 19 (0)
2003-2004 ベルギーの旗 ヒュースデン=ゾルダー(loan) 30 (5)
2005-2006 セルビア・モンテネグロの旗セルビアの旗 レッドスター・ベオグラード 6 (0)
2007 日本の旗 横浜F・マリノス 3 (0)
2008-2010 アメリカ合衆国の旗 ポートランド・ティンバーズ 77 (4)
2011-2014 日本の旗 水戸ホーリーホック 126 (24)
2015 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 2 (0)
代表歴2
2001-2005[3] 日本の旗 日本 55 (11)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年12月2日現在。
2. 2005年10月12日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

夫人はモデルの橋本優子

来歴

Jリーグデビュー - 各地へのレンタル移籍

茨城県立日立工業高等学校では1年から国体に出場、2年の頃には地元のJリーグクラブ・鹿島アントラーズに声をかけられるほど注目されていた。3年でも中田英寿らと共にカテゴリー別の日本代表にも選出されるなど全国区の選手だった。しかし、日立工高にはサッカーを教えることのできる指導者はおらず、監督は鈴木に練習メニューを作らせていた。後に鈴木は「(鹿島加入まで)まともにサッカーを習ったことがなかった」[4]、「ただ遊んでいただけでした」[5] と振り返る。

高校卒業後の1995年、鹿島アントラーズに加入。1996年10月16日に行われた試合(第24節)でJリーグデビューを果たした。

しかしその後はトップチームでの出場機会に恵まれず、1997年3月から9月、ブラジルのリオデジャネイロ州3部リーグに新設された、ジーコが出資し自ら会長を務めるクラブ、CFZ・ド・リオへとレンタル移籍する[6]。ここで21試合7得点の成績を挙げ、リオ州2部昇格に貢献した。

レンタル期間終了後は鹿島へと復帰し背番号9を与えられたが、1998年10月にジェフユナイテッド市原へ期限付き移籍[6]J1参入決定戦アビスパ福岡との試合で貴重なゴールを決め、市原のJ1残留に貢献した。

1999年2月、再びリオ州2部のCFZ・ド・リオにレンタル移籍し[7]、5試合に出場するも無得点に終わる[8]。8月下旬に鹿島に復帰[8]。ナビスコカップ準決勝第1戦と第2戦、長谷川祥之とのツートップで、スタメン出場を果たす。柏レイソルとの決勝戦、途中出場で初の決勝の舞台に立ち、PK戦では2番目のキッカーを務めるも失敗、優勝を逃した。

2000年川崎フロンターレに期限付き移籍[9]。リーグ戦11試合に起用されていたものの無得点、クラブも勝てなかった。そんな中行われたミーティングで松本育夫社長が選手に意見を求めた際、鈴木はチーム内に溜まっていた不満を代弁したが、それ以降出場機会がなくなった。結局シーズン途中鹿島に復帰し、リーグ5試合で2得点、ナビスコ杯5試合で3得点、天皇杯5試合で2得点。復帰後の15試合で7得点を挙げ、一気にレギュラーに定着、鹿島の「三冠」に貢献した。ナビスコカップではその活躍により、ニューヒーロー賞に選ばれた。

欧州リーグでの挑戦

2002 FIFAワールドカップ終了後、その活躍が対戦国のベルギーで認められ、ベルギー1部リーグヘンク期限付き移籍。移籍期間は2002年7月15日から2003年6月30日まで[10]。しかし、センターフォワードではなく右サイドのウィング的ポジションで起用されることがほとんどであり、リーグ戦やUEFAチャンピオンズリーグでアシストを記録するなどしたものの、FWのレギュラーを奪えず無得点に終わる。

2003年7月、鹿島に復帰[10]。同年8月、ヘンクと選手の提携を結んでいるヒュースデン=ゾルダー(本拠はゾルダーだが、キャパシティーの問題から近隣の街・ヘンクのスタジアムを使用している)に翌年6月末まで期限付き移籍[11]。クラブは1年で2部リーグに降格したものの、本来のセンターフォワードでまずまずのプレーをしリーグ戦5得点を挙げた。

国内復帰 - 再びの海外

2004年、Jリーグ・第2ステージより鹿島アントラーズに復帰し、第5節アウェイの磐田戦で自身初のハットトリックを果たす(1得点はPK)。

2005年小笠原満男に代わり鹿島の選手会長を務めることとなった。第1節の浦和戦では決勝ゴールをあげる活躍をみせたが、シーズン途中の負傷離脱中にMF野沢拓也アレックス・ミネイロとのコンビで起用されたこともあり、復帰後はベンチスタートとなる時期もあった。リーグ戦では25試合に出場、3得点を挙げた。

2006年1月末に、セルビア・モンテネグロレッドスター・ベオグラードに完全移籍[12]。4月の国内カップ戦の準決勝ではアウェーでのラドニチュキ・ニシュ戦で初の先発フル出場、移籍後の公式初得点を含む2得点を挙げ、日本人選手として初めてのリーグ得点者となったが7月に入るとレッドスターのドゥシャン・バイエビッチ監督の構想から外れ[13]、出場機会が激減。

2007年1月19日横浜F・マリノスが完全移籍での獲得を正式発表した[14]。周囲からは横浜FCに移籍した久保竜彦の穴を埋める活躍を期待されていたが、開幕から数試合は出場したものの、その後は試合出場はおろか、ベンチメンバー入りすらできない不本意なシーズンとなった。12月1日、横浜FMより契約満了が発表される[15]。その後、東京ヴェルディからオファーがあったものの、条件面で折り合いがつかずに交渉が決裂。

2008年2月、米MLSチーバスUSAと交渉、ここでも条件面等で折り合わず契約には至らなかった。

2008年3月25日、米ユナイテッドサッカーリーグポートランド・ティンバーズへの加入が発表された。4月26日のホームにシアトル・サウンダーズを迎えた試合で、1ゴール1アシストを記録した。

2010年末、ポートランドを退団[16]

引退報道 - 国内復帰

2011年4月22日、鹿島時代に同チームで一緒にプレイした増田忠俊のTwitterにて2010年に引退し、今後はサッカー関連の仕事に就くとツイートされ、広まる[17]。だが鈴木の所属事務所は「今後に関しては現時点で未定ですが、現役続行も含めていろいろな可能性がある状況です」として引退を否定した[16]。鈴木の引退を発した増田も引退ではなく今後については模索中だと訂正・謝罪した[18]

2011年6月3日水戸ホーリーホックへの加入が決定[19]。4シーズン振りのJリーグ復帰となった。なお本人の強い希望により、無報酬でのアマチュア契約となる[20]。 「震災が起きて、非常に経営も苦しいということを聞いていた。チームに迷惑をかけないように加入したかったので、僕の強い希望でアマチュア契約となった」

2011年7月31日愛媛FC戦で小澤司フリーキックをヘッドで合わせて、6年ぶりのJリーグゴールを決めた。 2011年度は20試合に出場し5得点を挙げる

2012年からはプロA契約を結ぶことが発表された。2013年シーズンのリーグ戦ではキャリア初の2桁得点を記録した。2014年シーズン終了後、戦力外通告を受け退団が決定。

現役引退

2015年2月、ジェフユナイテッド市原・千葉へ移籍[21]。 「引退するかどうか迷っていた部分もあったが、また拾っていただいた。持っているものを全て出したい」 千葉では2試合の出場に留まり、シーズン終了後に引退が発表された[22]

引退会見では、引退の経緯について「今までどんな状況でも辞めたくないなと思っていたけど、10月にふと辞めようと決断しました。次に進みたいという気持ちが強くなって、プレーしたい気持ちを超えたのだと思う」とコメントし、プロのサッカーチームの監督を目指す事を明かしている[23]

日本代表

2001年フィリップ・トルシエによって日本代表に初招集される。4月25日のスペイン戦にて途中出場し、代表デビュー[3]。しかしこの時は後半アディッショナルタイムも4分以上経っての投入で、直後の30秒後に試合が終了しボールに触れる事もなかった。日本で開かれたFIFAコンフェデレーションズカップカメルーン戦では初スタメンに抜擢され、2得点を挙げる結果を残し、マスコミなどからシンデレラボーイと呼ばれた。トルシエは鈴木の抜擢を「(鈴木の)目で決めた」と述べ(なお、トルシエは後年「本当は(アフリカ系選手に対するために)鈴木のフィジカルコンタクトの強さを買って起用した」とも明かしていた)、本人も試合直前まで知らされていなかったという。次のオーストラリア戦では肘打ちをしたと見なされ一発退場になるが、この大会以降代表に定着した。

2002年、トルシエからは献身的なプレーが認められ、FIFAワールドカップのメンバーに選出。エコノミークラス症候群による戦線離脱を余儀なくされた高原直泰、盲腸の手術明けで本調子でなかった西澤明訓らに代わり、鹿島のチームメイトである柳沢敦と共にツートップを形成。初戦のベルギー戦で本大会における日本代表の初得点を挙げる。この得点は日本がW杯で初めての勝ち点1を得る貴重な同点ゴールとなった。

2006 FIFAワールドカップ・アジア一次予選ではケガで不調のエースFW久保竜彦に代わりジーコに「FWの軸」として指名され、3戦連続ゴールを決めるなど活躍。AFCアジアカップ2004でも日本の優勝に貢献する。2005年、最終予選では3試合先発するも右足首の怪我に泣き、ノーゴールに終わった。この頃から玉田圭司大黒将志の台頭で代表の出場機会が減り始め、2005年のコンフェデレーションズカップを最後に招集されなくなり、ドイツW杯の日本代表メンバーにも選出されなかった。

引退後

引退後はサッカー指導者、サッカー解説者として活動している。

2018年5月17日、日本サッカー協会理事会においてJFA 公認S級コーチに認定される[24]

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995鹿島-J00-0000
199610000010
1997260000-00
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1997CFZリオ州3部217
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998鹿島9J3110-41
市原3270001080
ブラジル リーグ戦 ブラジル杯オープン杯 期間通算
1999CFZリオ州2部50
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999鹿島9J110300040
2000川崎811020-130
鹿島30525352157
200126661343511
20028000-80
ベルギー リーグ戦 リーグ杯ベルギー杯 期間通算
2002-03ヘンク30ジュピラー19020-210
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003鹿島30J140--40
ベルギー リーグ戦 リーグ杯ベルギー杯 期間通算
2003-04ゾルダー30ジュピラー30542-347
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2004鹿島30J11450030175
20052530030283
セルビア・モンテネグロ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2005-06レッドスター19プルヴァ6012-72
セルビア リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
2006-07レッドスター19プルヴァ0020-20
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2007横浜FM9J130100040
アメリカ リーグ戦 リーグ杯USオープン杯 期間通算
2008ポートランド30USL261--261
2009272--272
2010241--241
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2011水戸30J2205-31236
2012364-20384
20133712-103812
2014333-20353
2015千葉3220-0020
通算日本J1 1081718415614127
日本J2 12824-8113625
ブラジルリオ州2部 50
ブラジルリオ州3部 217
ベルギージュピラー 49562-557
セルビア・モンテネグロプルヴァ 6012-72
セルビアプルヴァ 0020-20
アメリカUSL 774-
総通算 39457
その他の公式戦
国際大会
国際大会個人成績
年度クラブ背番号出場得点
UEFAUEFA CL
2002-03ヘンク3040
通算UEFA 40
出場歴

代表歴

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 55試合 11得点(2001年 - 2005年)[3]
日本代表国際Aマッチ
出場得点
2001103
2002131
200340
2004186
2005101
通算 5511

ゴール

#開催年月日開催地対戦国勝敗試合概要
1.2001年6月2日日本新潟市カメルーンの旗 カメルーン○2-0FIFAコンフェデレーションズカップ2001
2.
3.2001年10月7日イギリスサウサンプトンナイジェリアの旗 ナイジェリア△2-2親善試合
4.2002年6月4日日本、さいたま市ベルギーの旗 ベルギー△2-22002 FIFAワールドカップ
5.2004年6月9日日本、さいたま市インドの旗 インド○7-02006 FIFAワールドカップ・アジア予選
6.2004年7月9日日本、広島市スロバキアの旗 スロバキア○3-1キリンカップサッカー2004
7.2004年7月31日中国重慶市ヨルダンの旗 ヨルダン△1-1
(PK4-3)
AFCアジアカップ2004
8.2004年8月18日日本、袋井市アルゼンチンの旗 アルゼンチン●1-2キリンチャレンジカップ2004
9.2004年9月8日インドコルカタインドの旗 インド○4-02006 FIFAワールドカップ・アジア予選
10.2004年10月13日オマーンマスカットオマーンの旗 オマーン○1-0
11.2005年2月2日日本、横浜市シリアの旗 シリア○3-0キリンチャレンジカップ2005

チームタイトル

鹿島アントラーズ
レッドスター・ベオグラード
  • セルビア・モンテネグロ・プルヴァ・リーガ 優勝 : 2005-06
  • セルビア・スーペルリーガ 優勝 : 2006-07
  • セルビア・カップ 優勝 : 2006-07
日本代表

個人タイトル

脚注

  1. 元日本代表「師匠」のJ2水戸入団に期待の声”. web R25 (2011年5月26日). 2011年11月10日閲覧。
  2. “Takayuki Suzuki”. NATIONAL FOOTBALL TEAMS. https://www.national-football-teams.com/player/3445/Takayuki_Suzuki.html 2024年3月20日閲覧。
  3. “鈴木 隆行”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_sa/takayuki_suzuki.html
  4. 鈴木隆行 「5カ国10クラブを渡り歩く男の哲学。」 - Number Web(2011年7月29日)
  5. 鈴木隆行「先輩からのメッセージ」 "夢を叶える" - いばキラTV(2014年12月7日)
  6. 鈴木 隆行選手の期限付き移籍について』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、1998年10月13日。 オリジナルの2000年2月4日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20000204030347/http://www.nttprintec.co.jp:80/ANT/RELEASE/1998/199810/981013115305.html2018年8月17日閲覧
  7. 鈴木 隆行選手 CFZ・DO RIO へレンタル移籍のお知らせ』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、1999年2月15日。 オリジナルの2000年5月22日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20000522201326/http://www.nttprintec.co.jp:80/ANT/RELEASE/1999/199902/990212151126.html2018年8月18日閲覧
  8. 鈴木 隆行選手 帰国のお知らせ』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、1999年8月27日。 オリジナルの2001年2月28日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20010228051807/http://www.nttprintec.co.jp:80/ANT/RELEASE/1999/199908/990827152810.html2018年8月18日閲覧
  9. 小林、鈴木、矢畑、山口選手 期限付き移籍のお知らせ』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、1999年12月28日。 オリジナルの2001年4月24日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20010424103758/http://www.antlers.port.ne.jp:80/antlers/RELEASE/991228154523.html2018年8月18日閲覧
  10. 鈴木隆行選手 鹿島アントラーズへ復帰について』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、2003年7月4日。 オリジナルの2004年4月26日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20040426134437/http://www.antlers.port.ne.jp:80/antlers/RELEASE/030704154426.html
  11. 鈴木隆行選手の期限付き移籍について』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、20。 オリジナルの2004年4月10日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20040410111129/http://www.antlers.port.ne.jp:80/antlers/RELEASE/030801152009.html2018年8月18日閲覧
  12. 鈴木隆行選手のレッドスター・ベオグラードへの完全移籍について(06.01.28)』(プレスリリース)鹿島アントラーズ、2006年1月28日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000289262018年8月18日閲覧
  13. 高川武将 (2006年11月23日). 鈴木隆行 男の器。”. Number Web. 2018年8月18日閲覧。
  14. 鈴木隆行選手 移籍加入のお知らせ(07.01.19)』(プレスリリース)横浜F・マリノス、2007年1月19日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000434172018年8月18日閲覧
  15. 横浜F・マリノス契約満了選手のお知らせ(07.12.01)』(プレスリリース)横浜F・マリノス、2007年12月1日https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=000579542018年8月18日閲覧
  16. 元日本代表・鈴木は現役続行の意志 - ウェイバックマシン(2011年4月26日アーカイブ分) - サンケイスポーツ(2011年4月23日)
  17. 増田 忠俊のTwitter発言
  18. 2011年4月22日の増田 忠俊のTwitter発言
  19. 鈴木 隆行選手 加入のお知らせ』(プレスリリース)水戸ホーリーホック、2011年6月3日。 オリジナルの2013年4月1日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20130401071733/http://www.mito-hollyhock.net/www/news/index.cgi?no=7472011年6月3日閲覧
  20. 無報酬で水戸に加入 鈴木「僕の強い希望で」 スポーツニッポン (2011年6月8日)
  21. 鈴木隆行選手の加入について ジェフユナイテッド市原・千葉 (2015年2月8日)
  22. 鈴木隆行選手 現役引退のお知らせ ジェフユナイテッド市原・千葉 (2015年12月2日)
  23. 元日本代表の鈴木隆行が引退会見「沢山の人に感謝」 日刊スポーツ (2015年12月7日)
  24. 日本サッカー協会2018年度第6回理事会報告事項 日本サッカー協会(2018年5月17日)

外部リンク

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