三浦半島

三浦半島(みうらはんとう)は、神奈川県南東部にある半島である。

三浦半島のランドサット衛星写真。スペースシャトル標高データ使用。

概要

「みうら」という地名は古代から用いられており、『日本書紀』では「御浦」(みうら)と記載されていた。当時は朝廷の所領だったのでこのように「御」をつけて呼ばれていたという[1]。『万葉集』では半島全体を指して「御宇良崎」、その後「御」の字を避けるようになり当て字が使われ「美宇羅」とされた。

なぜ「三」を用いて「三浦」と表記するようになったかについては、この半島は東・西・南の三方が[注 1]で囲まれていたからとされている。

地理

三浦半島の位置(日本内)
三浦半島
三浦半島の位置
地形図
三浦半島の航空写真

太平洋に向けて突き出し、東京湾相模湾とを分けている[2]三浦丘陵を主体としており、横浜市磯子区の南西にある円海山から藤沢市片瀬にいたる線を北限とし、円海山の北麓で多摩丘陵に接続する。半島東端の観音崎は東京湾の南限であり、浦賀水道を隔てて東の房総半島とともに東京湾を囲む。半島の西には伊豆半島がある。

三浦半島は2000万年前から1500万年前の太古の時代に太平洋の深海底で太平洋プレート上に降り積もった堆積物に由来する。太平洋プレートが海溝において大陸プレートの下に沈み込む際に堆積物は剥離して積み上がり[注 2]、約50万年前には海面上まで隆起し、三浦半島や房総半島のもととなった。この後、北上するフィリピン海プレート上の伊豆半島が日本列島に衝突したエネルギーで、三浦半島は時計回りに回転し、現在の形状となった。

隆起は現在も続いており、関東大震災の折には城ヶ島周辺の広い範囲で、海岸線が数メートル隆起している。地質的にはほぼ全域が第三紀層に属する。またおよそ西北西 - 東南東方向に走る衣笠断層帯北武断層群武山断層帯南下浦断層引橋断層の5箇所の活断層が存在し、三浦半島断層群と呼ばれる。植生は常緑広葉樹林

三浦半島には脊梁山脈に相当する山脈はない[2]。最高峰で標高241mの大楠山、横浜市の最高地点である円海山を擁する。

半島北東部の横浜から横須賀に至る東京湾側、および北西部の逗子鎌倉は、平地が乏しく起伏の多い地形にもかかわらず市街化が進んでいる。一方、中央部から南部は森林や畑が広がり、東京から近いわりに広々とした景観が展開するため、日帰り観光地としても人気がある。水田は少なく、ダイコンキャベツスイカその他各種野菜の栽培が盛ん。特産であった三浦大根はわずかな作付のみで、主力は青首大根に移行している。

地形地域区分

土地分類基本調査では三浦半島の地形地域区分を、地形地質学的に北部、中部、南部に分けている[2]。北部と中部は逗子市の田越川河口から横須賀市の久里浜を境に、中部と南部は小田和湾北岸の横須賀市前田から横須賀市宮ケ谷戸を境に分けられる[2]

  • 北部 - 横須賀港周辺では明治時代から埋め立てが行われており、久里浜港周辺も埋立地となっている[2]
  • 中部 - 二子山、大楠山、武山それぞれを中心とする三つの山脈がある[2]
  • 南部 - 東京湾側の野比から菊名にかけて三浦海岸がある[2]。半島南端には城ヶ島が付属する。

三浦半島地域圏

横須賀市鎌倉市逗子市三浦市葉山町で三浦半島地域圏を構成している[3]

主に、三浦半島の大部分を占める横須賀市三浦市を合わせて指す呼称として「横三」(よこさん)「横三地域」という名称が使用されることがある[注 4]

自然環境

2018年6月に由比ヶ浜に漂着したシロナガスクジラ。アジア系の個体群は壊滅したと思わしく[6]、国内初の漂着の確認だった[7]

後述の通り、現在でも多数の漁港が存在するなど活発な漁業を支えるほどの海洋生態系があり、現在もバードウォッチングが人気であるが[8]、かつては捕鯨[注 5][9]。やアシカ猟なども盛んだった時期があり[10]、現在では滅多に見られないヒゲクジラ類[11]ウバザメ[12][13]の様な大型生物も多数見られたとされ、絶滅したとされるニホンアシカも三浦半島の沿岸部に普遍的に生息していた[14]

しかし、一部のクジラ[注 6][8][15]イルカ[16][17]などは近年も三浦半島や江の島[18][19]の周囲で時折見られることがあり、とくに冬場はクジラと船舶との衝突の危険性が増加する可能性がある[20]

歴史

三浦半島では、旧石器時代(先土器時代)にあたる25000年前から人類が生活を始めていた[21][22]縄文時代遺跡では三浦市の諸磯貝塚や横須賀市の夏島貝塚茅山貝塚などが知られる[23]。また弥生時代には、三浦市赤坂遺跡などで拠点的な集落が営まれた[24]

古墳時代前期(4世紀)には逗子市と葉山町の境に長柄桜山古墳群が築かれた[25]。また三浦市や横須賀市にも古墳群や横穴墓が造られた[26]

古代律令制度では、東海道相模国に属する。『日本書紀』には「御浦」(みうら)と記されている。

中世には頼朝の挙兵に従った三浦氏の領国であった。三浦氏は北条時頼の時代に宝治合戦で宗家が滅ぼされた。以後半島の北の街道沿いは北条氏の領地となり、北条氏側に付いて三浦の家名を継承した傍系は、半島内に閉じ込められる形となった。後にこの系統は戦国大名化し、扇谷上杉氏被官となるも、伊豆北条早雲が相模国に勢力を拡大し、1516年に三浦氏を攻めるために玉縄城を築き、籠城した三浦義同三浦義意を住吉城から新井城に攻めて滅亡させると、三浦半島は後北条氏の領地となる。戦国時代には三浦半島は後北条氏の水軍の本拠となり、東京湾を挟んで里見氏と争った。里見義堯は水軍を率いて三浦半島を襲撃し、たびたび鎌倉まで攻めて北条氏綱と戦った。江戸時代初期は玉縄を本拠とする本多正信の領地で、江戸幕府直轄の天領であった。1600年ヤン・ヨーステンらとともに「リーフデ号」で日本に来航したイギリス人ウィリアム・アダムス徳川家康の外交顧問となり、三浦半島に領地を貰い、日本名を三浦按針とした。

鎖国後の江戸時代には浦賀の町に廻船問屋が並び、徳川吉宗浦賀奉行を設置する。後期にはフェートン号事件などが発生したため、鎖国政策をとる江戸幕府は江戸湾防備のために、1810年会津藩に三浦半島沿岸の警備を命じる。1821年以降は会津藩に代わって川越藩がそれを担当した。その後、モリソン号事件のように外国船が日本近辺に出現して測量などを行うようになり、1846年にはジェームズ・ビドルのアメリカ艦隊が三崎沖に姿を現し開国を求めた。1853年にはマシュー・ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀沖に来航、久里浜に上陸して幕府に通商を迫った(黒船来航)。洋式砲術を研究していた幕臣の江川英龍は、三浦半島に砲台を築いて防衛線とすることを提言するが退けられた。

明治後には三浦半島は国防上の要衝地と認知される。横須賀には横須賀鎮守府が設置され、日露戦争において黄海海戦日本海海戦で旗艦として活動した戦艦三笠」の本籍地であった。この「三笠」は日露戦争後に火災で沈没し除籍となるが、保存工事が施され三笠公園に現存する。太平洋戦争大東亜戦争)の末期には、アメリカ軍の本土上陸に備えて沿岸陣地も築かれた。

戦後には消滅した日本軍に代わりアメリカ軍や自衛隊の基地が横須賀市や逗子市に多く作られ再び『軍都』となる一方、首都圏の発展に伴い三浦半島でもベッドタウン化が進み、2007年現在の人口は62万人であるが、住民の高齢化も進行している。

施設

寺社

城跡

漁港

交通

幹線道路

鉄道

バス

船舶

三浦半島を舞台とする作品

脚注

注釈

  1. や入り組んだ海岸などを指す。
  2. このような地質構造を「付加体」という。
  3. 実際には逗子市および三浦郡葉山町を含む
  4. たとえば神奈川県庁では県横須賀三浦地域県政総合センターに関するニュースを「横三センターメールニュース」の名で配信している[4]神奈川県高等学校体育連盟テニス専門部において「横須賀三浦地区[注 3]。」を「横三地区」と称している[5]労働組合「横三労連」は「横須賀三浦地域労働組合総連合」の略称。
  5. 西日本と異なり、捕鯨を嫌ったりタブーとする風潮が強く、捕鯨自体を禁止する地域も存在していたこともあり、東日本で組織的および商業的な古式捕鯨が大々的に行われていたのは、三浦半島の他には東京湾に面する千葉県鋸南町や、現在の福島県いわき市の沿岸部や金華山の周辺などに限られていた。
  6. マッコウクジラがとくに多いが、ザトウクジラコビレゴンドウなども見られることがある。

出典

  1. 高澤等、森岡浩 著『日本人の名字と家紋』プレジデント社、2017、p.33
  2. 土地分類基本調査 横須賀・三崎 (PDF). 神奈川県. 国土交通省. pp. 9-15. 2022年5月27日閲覧。
  3. 三浦半島地域圏 (PDF). 神奈川県. 2022年5月27日閲覧。
  4. 横三センターメールニュース”. 神奈川県庁. 2013年4月18日閲覧。
  5. 地区専門部”. 神奈川県高体連テニス専門部. 2013年4月18日閲覧。
  6. 宇仁義和『戦前期日本の沿岸捕鯨の実態解明と文化的影響 ―1890-1940年代の近代沿岸捕鯨―』東京農業大学〈博士(生物産業学) 乙第0947号〉、2020年、193頁。 NAID 500001385241https://nodai.repo.nii.ac.jp/records/802
  7. 2018年8月5日 鎌倉市由比ガ浜海岸にストランディングしたシロナガスクジラ 調査概要”. 国立科学博物館. 2021年11月17日閲覧。
  8. 城ヶ島沖の海鳥観察 2022/05/24”. 三浦半島渡り鳥連絡会 (2022年5月22日). 2024年1月26日閲覧。
  9. 岩織政美, 田名部清一, 2011年01月, 『八戸浦"クジラ事件"と漁民 : 「事件百周年」駒井庄三郎家所蔵「裁判記録」より』, 327頁, 「八戸浦"くじら事件"と漁民」刊行委員会
  10. 河野博, 2011年, 『東京湾の魚類』, 第323頁, 平凡社
  11. 加登岡大希, 崎山直夫, 石川創, 山田格, 田島木綿子, 樽創「相模湾・東京湾沿岸で記録されたヒゲクジラ亜目(Mysticeti)について」『神奈川自然誌資料』第2020巻第41号、神奈川県立生命の星・地球博物館(旧神奈川県立博物館)、2020年、83-93頁、CRID 1390002184884436608doi:10.32225/nkpmnh.2020.41_83ISSN 0388-90092024年2月29日閲覧
  12. 【速報】定置網に6メートルウバザメ 横須賀・佐島漁港”. 神奈川新聞 (2016年3月29日). 2023年11月17日閲覧。
  13. 加登岡大希, 崎山直夫, 瀬能宏「ウバザメ(ネズミザメ目ウバザメ科)幼魚の相模湾における記録と全世界における出現状況」『神奈川自然誌資料』第2022巻第43号、神奈川県立生命の星・地球博物館(旧神奈川県立博物館)、2022年、53-60頁、CRID 1390010292745853824doi:10.32225/nkpmnh.2022.43_53ISSN 0388-90092024年3月4日閲覧
  14. 中村一恵三浦半島沿岸に生息していたニホンアシカについて」(PDF)『神奈川県立博物館研究報告. 自然科学』第22号、小田原 : 神奈川県立生命の星・地球博物館、1993年1月、81-89頁、CRID 1520853833567161472ISSN 045319062023年11月16日閲覧
  15. 鷲見みゆき, 花上諒大, 崎山直夫, 鈴木聡, 石川創, 山田格, 田島木綿子, 樽創「相模湾・東京湾沿岸で記録されたハクジラ亜目(マッコウクジラ科Physeteridae,コマッコウ科Kogiidae, アカボウクジラ科Ziphiidae,ネズミイルカ科Phocoenidae)について」『神奈川自然誌資料』第2022巻第43号、神奈川県立生命の星・地球博物館(旧神奈川県立博物館)、2022年、1-23頁、CRID 1390010292742695808doi:10.32225/nkpmnh.2022.43_1ISSN 0388-90092024年3月4日閲覧
  16. 横須賀沖にイルカ出現”. タウンニュース (2021年6月4日). 2024年1月26日閲覧。
  17. 吉岡まちこ, 2012年03月19日, 横浜の海にイルカがいるってホント?, はまれぽ.com
  18. manchi100, 2011年11月12日, 相模湾の鯨(A whale jumping on Sagami bay near Tokyo Japan 12th.Nov.2011)
  19. 特定非営利活動法人 パパラギ海と自然の教室, 2014年03月19日, 相模湾の鯨類調査
  20. 遊漁船と衝突か“三浦半島沖 クジラの交差点のようなところ””. NHK (2023年3月7日). 2024年1月26日閲覧。
  21. 先土器時代~弥生時代年表(横須賀市)
  22. 先土器時代(横須賀市)
  23. 縄文時代(横須賀市)
  24. 史跡赤坂遺跡のホームページ(三浦市)
  25. 長柄桜山古墳群(逗子市)
  26. 古墳時代(横須賀市)

関連項目

外部リンク

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