蔣斌
生涯
蜀漢の延熙9年(246年)、父の蔣琬が没し、その後を継ぐ。綏武将軍・護軍となり、五千の兵[1]を率いて漢城の守備に当たった。
炎興元年(263年)、蜀漢は魏の侵攻を受け、11月には皇帝劉禅が降伏して滅亡に至るが、漢城を守備する蔣斌は荀愷の包囲を受けながらも、終戦までこれを守り抜いた[1]。またこの最中、魏の鍾会は蔣琬・蔣斌父子に敬意を払った手紙を送り、蔣斌はこれに丁寧な返書を返したことで、鍾会の感心を得ている。劉禅が降伏すると、蔣斌も涪の鍾会の元へ出頭。鍾会からは友人のように遇され、共に成都へと向かったが、魏の景元5年(264年)正月、鍾会の反乱による混乱の中で殺害された。
脚注
- 『三国志』魏書 鍾会伝
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