音無秀孝

音無 秀孝(おとなし ひでたか、1954年6月10日 - )は、宮崎県出身の現調教師・元騎手

音無秀孝
2011年シンザン記念表彰式
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 宮崎県
生年月日 (1954-06-10) 1954年6月10日(69歳)
騎手情報
所属団体 日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎 栗東田中良平(1979/3 - 1981/10)
栗東・領家政蔵(1981/10 - 1981/12)
栗東・田中良平(1981/12 - 1993)
初免許年 1979年
免許区分 平地
騎手引退日 1993年2月28日
重賞勝利 6勝
G1級勝利 1勝
通算勝利 1212戦84勝
調教師情報
初免許年 1995年
経歴
所属 栗東T.C.

来歴

中学卒業後に大阪レストランコックとして3年間働いていたが、この間に競馬ファンとなり、自身も騎手として競馬界に飛び込むことを決意。

1973年から栗東田中好雄厩舎に騎手見習として入門し、1975年からは好雄の実子である田中良平厩舎に移籍。

1979年に同厩舎からデビューし、栗田伸一安達昭夫田中剛菅沼輝正と同期になる。3月3日阪神第1競走アラブ系4歳以上オープン・サカエホーオー(7頭中7着)で初騎乗を果たすが、勝ったのは1977年最優秀アラブ馬ミサキシンボルで、鞍上は初騎乗初勝利の栗田であった[1]。1年目の同年は11月11日福島第6競走4歳以上400万下・シンヤマト、第10競走4歳以上400万下・コーヨーローズで共に2着などがあったが、初勝利には届かず0勝に終わる。

2年目の1980年7月20日小倉第5競走4歳未勝利・ヒノサトで初勝利を挙げるが、ヒノサトの馬主は当時、田中良厩舎に所有馬の多くを預けていた小田切有一であった。音無は若い頃から小田切に可愛がられ、現在も「秀ちゃん」と呼ばれている。

2年目の同年は2勝を挙げ、3年目の1981年には4勝をマークするが、4勝中3勝はアラブのエアーシャトルで挙げた。1982年には同馬のシュンエイ記念で重賞初騎乗を果たし3着に入り、小田切所有のミスラディカル京都牝馬特別を制して重賞初制覇をマークする。エリザベス女王杯ではビクトリアクラウンの2着に入り、暮れの阪神牝馬特別でも京都牝馬特別と同様にヤマノシラギクを抑えて重賞2勝目を挙げる。

1983年には金杯(西)で同じ明け5歳のワカテンザンエリモローラといった牡馬を破って年またぎで重賞を連勝し、宝塚記念に出走した後、秋には朝日チャレンジカップを制す。東上して牝馬東京タイムズ杯では2着に入り、天皇賞(秋)ジャパンカップ有馬記念にも挑戦。第3回ジャパンカップに補欠であったミスラディカルが他馬の出走辞退を受けてゲートに収まることとなった際、音無は興奮してお祭り気分になった。早くから東京に滞在して調教し、毎日乗っていたが、スタネーラアイルランド)が腹痛で調教せず運動だけで勝つのに驚いた。その時に追い切りだけが調教ではないと分かったほか、運動の大切さも分かり、調教師となった現在も当時の教訓が生かされている[2]。ミスラディカルはアンバーシャダイにクビ差迫り、チェリオルーフォ(イタリア)・エリンズアイルアメリカ)、メジロティターンハイホークイギリス)に先着の7着と健闘。1982年には初の2桁となる10勝をマークし、10勝中5勝はミスラディカル、2勝はエアーシャトルで挙げた。1983年は2年連続2桁となる16勝、1984年は3年連続2桁で自己最多の18勝をマーク。

1985年には同じく小田切所有のノアノハコブネ優駿牝馬を制すが、自身唯一のGI制覇をクラシックで飾る。ノアノハコブネは桜花賞には間に合わず、前日の忘れな草賞も4着に終わった為、オークス出走のためもう一勝を積み上げる必要があった。どのレースを選ぶかを関係者が協議した際、音無は「ダートの平場なら勝てる」と進言[3]。その通り京都ダート1800mの400万下を勝ちオークスに出走できたものの、芝では4戦して未勝利ということもあり人気は低く、28頭中21番人気での出走となった。レースは逃げると思われた桜花賞馬エルプスが逃げを打てなかったものの、ユキノローズレインボーペガサスの祖母)、アイランドゴッテスがレースを引っ張り、最初の1000mが60秒5と言う当時の東京コースとしては異様なハイペースの展開となった[4]。スタート直後のダッシュがつかず、結局何時も通りの最後方からの競馬となったノアノハコブネにはこれが幸いし、最後の直線でオーバーペースで大失速した馬達を外から全馬まとめて交わすと、ナカミアンゼリカに1馬身1/4差を付けて快勝。なお、この時更新したオークス史上最高単勝配当額(6270円)は未だに破られていない。同年は4勝に終わるが、その内の3勝はノアノハコブネで挙げた。

1986年にはカツラノハイセイコ産駒、青森産で抽せん馬[5]ユウミロクで牝馬クラシックに参戦し、優駿牝馬では後に史上初の三冠牝馬となるメジロラモーヌの2着に入る。1987年にはカブトヤマ記念で唯一の重賞制覇に導くが、音無にとっては最後の重賞制覇となった。

1989年には京都4歳特別で17頭中16番人気のファーストホームで3着に逃げ粘り、カブトヤマ記念ではサンピアレスで4着に追い込む。1992年2月1日の小倉第2競走4歳未勝利・ダンツセントーが最後の勝利となり、1993年の京都牝馬特別で小田切所有のフェイムオブラスに騎乗したのが最後の騎乗となった。1993年引退。

日本中央競馬会発足後、クラシックを制した騎手で通算100勝以下の騎手は彼以外には山本勲(通算99勝、1957年皐月賞)しかいない。

引退後は田中章博厩舎の調教助手(1993年 - 1994年)を経て、1995年に厩舎を開業。同年6月24日中京第12競走4歳以上900万下・キーペガサス(16頭中11着)で初出走を果たす。開業当初は他厩舎からの転厩馬ばかりであったが、その内の一頭だったイナズマタカオー7月23日北九州記念を勝利し、初勝利を重賞初制覇で遂げるという快挙を達成するなど、1年目から調教師として手腕を発揮。

2000年頃から成績が飛躍的に向上し、リンカーンカンパニーオレハマッテルゼサンアディユサンライズバッカスオウケンブルースリなどの活躍馬を世に送り出すなど、騎手時代以上の活躍が目立つ。

現在では毎年のように調教師リーディングの上位を賑わす存在であるが、リンカーンなどに代表される近藤英子所有の素質馬を管理し始めたことや、条件戦での積極的な関東遠征、東田幸男調教助手を始めとする厩舎スタッフらの手腕とチームワークなどが理由として挙げられる。また、坂路主体の調教も厩舎の特徴であり、西高東低の現状に於いて、これが前述の関東遠征での好結果に繋がっている。所属馬一頭一頭の過去のデータが一目瞭然できるというソフトを自ら考案して利用し、調教時計を始めとする詳細事項を自らの手でパソコンに入力、さらにそのデータは馬主にも届けるというマメな一面も持ち合わせている。

2007年8月4日には新潟のレースに出走させる管理馬アレクシオスの装鞍中、バランスを崩して倒れた同馬の下敷きになってしまい、肋骨を5本折る重傷を負う。それでも週明けの同6日には絶対安静とされる中、データ入力の為にコルセットを装着した状態で厩舎へ現れるという肉体的かつ精神的タフさも見せた。

エピソード

  • オモシロイ、イヤダイヤダなどの珍名馬が所属することでも有名な音無厩舎だが、騎手時代からの小田切との信頼関係は、調教師となってからのエガオヲミセテワナでの重賞勝利や、オレハマッテルゼでの高松宮記念優勝による悲願のGI初制覇へと結実している。
  • 栗東では同郷のよしみから橋口弘次郎調教師と仲が良く、二人の会話は新聞記事のネタになることもある。2007年のアイビスサマーダッシュでサンアディユが勝利した際、音無は小倉に出張中であったため、表彰式での表彰台には臨場業務代行で橋口が立った。

騎手成績

1着2着3着騎乗数勝率連対率
平地84104881201.070.157
障害00011.000.000
84104881212.069.154
日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初騎乗1979年3月3日1回阪神3日1Rアラブ系4歳以上オープンサカエホーオー7頭77着
初勝利1980年7月20日3回小倉4日5R4歳未勝利ヒノサト11頭31着
重賞初騎乗1982年1月31日1回中京4日11Rシュンエイ記念エアーシャトル15頭63着
重賞初勝利1982年10月31日5回京都8日11R京都牝馬特別ミスラディカル13頭51着
GI初騎乗1983年6月5日3回阪神6日10R宝塚記念ミスラディカル13頭56着
GI初勝利1985年5月19日3回東京2日10R優駿牝馬ノアノハコブネ28頭211着

主な騎乗馬

太字はGIレース。

その他

調教師成績

日付競馬場・開催競走名馬名頭数人気着順
初出走1995年6月24日3回中京3日12R5歳以上900万下キーペガサス16頭711着
初勝利1995年7月23日2回小倉4日11R北九州記念イナズマタカオー16頭31着
重賞初勝利1995年7月23日2回小倉4日11R北九州記念イナズマタカオー16頭31着
GI初出走1995年10月29日4回東京8日10R天皇賞(秋)イナズマタカオー17頭149着
GI初勝利2006年3月26日1回中京8日11R高松宮記念オレハマッテルゼ18頭41着

受賞

  • 2004年 JRA賞(優秀技術調教師)
  • 2005年-2010年 優秀調教師賞(関西)
  • 2009年 最多賞金獲得調教師賞
  • 2009年 JRA賞(最多賞金獲得調教師)
  • 2010年 JRA賞(最多勝利調教師)
  • 2010年 最多勝利調教師賞

主な管理馬

GI級競走優勝馬

その他重賞競走優勝馬

主な厩舎所属者

※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。

関連項目

脚注

  1. 栗田伸一調教助手が死去 | 競馬ニュース - netkeiba.com
  2. 【ジャパンC】音無師 アリストテレスで獲る 騎手時代から憧れのタイトル | 競馬ニュース - netkeiba.com
  3. 2011.05.17 | きょうの蹄音 競馬にまつわるちょっといい話 | 一般社団法人中山馬主協会
  4. “【G1温故知新】1985年オークス9着 ユキノローズ”. スポニチ. (2017年5月18日). https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2017/05/18/kiji/20170516s00004145059000c.html 2021年6月23日閲覧。
  5. 優駿』1987年12月号、日本中央競馬会、149頁
  6. ダイオライト記念競走優勝馬 - 南関東4競馬公式サイト 2015年3月12日閲覧
  7. クリソライトが優勝、クリノスターオーが2着で日本馬のワンツー/コリアカップnetkeiba.com 2016年9月11日閲覧
  8. 【シンザン記念】4番人気ピクシーナイトが逃げ切り 福永はJRA通算2400勝達成”. ヤフースポーツ (2021年1月10日). 2021年1月10日閲覧。
  9. デルマソトガケ”. JBISサーチ. 2022年12月14日閲覧。
  10. モズメイメイ”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2023年5月27日閲覧。
  11. イーグルノワール”. JBISサーチ. 公益財団法人日本軽種馬協会. 2023年11月23日閲覧。
  12. ソーダズリングJBISサーチ、2024年2月17日閲覧
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