本奥戸橋
本奥戸橋(ほんおくどばし)は、中川に架かる東京都道60号市川四ツ木線(奥戸街道)の橋である。右岸(西詰)の東京都葛飾区立石八丁目および東立石四丁目と左岸(東詰)の奥戸二丁目の間を結んでいる[4]。現在の橋は、1988年竣工の2代目である。

| 本奥戸橋 | |
|---|---|
![]() 本奥戸橋
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| 基本情報 | |
| 国 |
|
| 所在地 | 東京都葛飾区 |
| 交差物件 | 中川 |
| 建設 | 1988年[1][2] |
| 座標 | 北緯35度44分14秒 東経139度51分11.2秒 |
| 構造諸元 | |
| 形式 | 2径間連続下路式ワーレントラス桁橋[1][2] |
| 材料 | 鋼[1] |
| 全長 | 131.1 m[1][2] |
| 幅 | 15.0 m[1][3] |
| 関連項目 | |
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歴史
架橋以前
江戸時代から明治時代にかけて現在の本奥戸橋西詰は江戸市中の人々が柴又の帝釈天への参詣路として利用していたことで、人々の往来があり1755年(宝暦5年)に道しるべが建てられている [5]。また付近には「奥戸の渡し」と呼ばれる中川の渡船場があった[6]。
架橋
関東大震災の後の帝都復興事業に対応する形で新たに決定した1927年(昭和2年)8月の東京府の都市計画の中に「補助線道路86号」(現在の都道60号市川四ツ木線の一部)があり、本奥戸橋はこの新道路の一部に当たっている[7]。橋は1932年(昭和7年)4月開通、橋長122.1 m、幅員13.2 mの鋼橋で、西側が単純ポニートラス橋、東側がプレートガーダー橋という構造であった[2]。名称は、その上流に1914年(大正3年)4月に架橋された「奥戸橋」が既に存在したため、これに対して名付けられたという[3]。
周辺
俗称について
本奥戸橋は地域民を中心にかなり初期より「奥戸橋」や「新奥戸橋」[13]といった俗称で呼ばれていたことが知られている。 例えば、永井荷風の断腸亭日乗 1942年(昭和17年)6月4日において「雨中奥戸橋眺望画の如し」と記されているが、直後に「橋際に地蔵尊と道しるべの石あり。右江戸みち、左おくと渡し塲道、まかりかね道・・・」と続くことから、これが本奥戸橋を指していることが解る。また、1951年(昭和26年)発行の『新修 葛飾区史』680ページ[14]の写真の見出しは「奥戸橋」であるが、実際には本奥戸橋である。 2018年現在、近隣に正式名として奥戸橋や奥戸新橋を名乗る別の橋がそれぞれ存在する。
脚注
- 東京都建設局第五建設事務所 事業概要 平成29年版付表、2017年
- 土木学会付属土木図書館デジタルアーカイブス 『橋梁史年表』本奥戸橋1932-4
- 葛飾区教育委員会 『かつしかの橋 葛飾区橋梁調査報告書』、p.11 1989年
- 石川悌二 『東京の橋ー生きている江戸の歴史ー』新人物往来社、1977年
- この道しるべは同じく江戸時代に建立された地蔵尊と馬頭観音とともに立石郵便局の隣りに現存する
- 葛飾区 『新修 葛飾区史』p.703、1951年
- 葛飾区 『新修 葛飾区史』p.676、1951年
- 葛飾区 『新修 葛飾区史』p.1012、1951年
- 東京都葛飾区役所編 『葛飾区勢概要 昭和31年版』、巻頭写真 6枚目、1957年
- 葛飾区 『広報 かつしか』 昭和59年1月20日号、1984年
- 中日映画社 『江戸っ子かたぎ』中日ニュース No.887 3、昭和46年1月、1971年
- 葛飾区 『広報 かつしか』671号、昭和63年9月5日、1988年
- 葛飾新聞社『葛飾新聞』昭和26年8月12日(168号)、1951年
- 葛飾区 『新修 葛飾区史』p.680、1951年
参考文献
- 葛飾区教育委員会 『かつしかの橋 葛飾区橋梁調査報告書』、1989年


