1967年モナコグランプリ

1967年モナコグランプリ (1967 Monaco Grand Prix) は、1967年のF1世界選手権第2戦として、1967年5月7日モンテカルロ市街地コースで開催された。

モナコ 1967年モナコグランプリ
レース詳細
1967年F1世界選手権全11戦の第2戦
モンテカルロ市街地コース(1929-1972)
モンテカルロ市街地コース(1929-1972)
日程 1967年5月7日
正式名称 XXV Grand Prix Automobile de Monaco
開催地 モンテカルロ市街地コース
モナコの旗 モナコ モンテカルロ
コース 市街地コース
コース長 3.145 km (1.954 mi)
レース距離 100周 314.500 km (195.400 mi)
決勝日天候 晴 (ドライ)
ポールポジション
ドライバー ブラバム-レプコ
タイム 1:27.6
ファステストラップ
ドライバー イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス-クライマックス
タイム 1:29.5 (38[1]周目)
決勝順位
優勝 ブラバム-レプコ
2位 ロータス-BRM
3位 フェラーリ

ペドロ・ロドリゲスキャラミで予期せぬ勝利を挙げてから4ヶ月後、100周で行われた本レースはブラバムデニス・ハルムが4番手から優勝した。ロータスグラハム・ヒルが2位、フェラーリクリス・エイモンが3位となった。

フェラーリのロレンツォ・バンディーニが海岸沿いのシケインでクラッシュしてマシンが炎上、3日後に死亡する悲惨な事故が発生した[2]

レース概要

レース前

前戦南アフリカGPから4ヶ月のインターバル期間に非選手権レースが行われ、レース・オブ・チャンピオンズブランズ・ハッチ)はダン・ガーニーが自身のイーグル-ウェスレイクで、BRDCインターナショナル・トロフィーシルバーストン)はフェラーリマイク・パークスが勝利を挙げた。

エントリー

本レースには17台のF1マシンがエントリーされ、台数不足を補う目的でF2マトラの参加が許可された[3]。タイトなレイアウトのモナコでは、3リッター車の利点はなく、多くのトップチームが2-2.8リッター車でエントリーした。F2のマトラは1.6リッターのフォード・コスワース・FVAエンジンを搭載した[3]ホンダはインターバル期間に重量過多だったRA273を40kg軽量化させ[4]ジョン・サーティースを擁して2年ぶりにモナコGPに参加した。イーグルウェスレイクV12エンジンを初めてモナコに持ち込み、オーナー兼ドライバーのガーニーに加え、ホンダからリッチー・ギンサーが移籍した[5]。フェラーリは前年版の312/66を改良して新設計された312/67に、V字型の中央に配置した排気管が絡み合ったスパゲッティを連想させる[6]3バルブのV12エンジンが搭載された[7]。ドライバーはエースのロレンツォ・バンディーニ、前年にスポット参戦したルドヴィコ・スカルフィオッティとパークスに加え、若手クリス・エイモンが抜擢され、ラインナップを充実させた[8]マクラーレンは前年のフォード及びセレニッシマに代わり、BRMの古い2.1リッターV8エンジンをF2用のM4AをベースとしたM4Bに搭載した[3]。エントリーの詳細については、後述の#エントリーリストも参照されたい。

予選

ジャック・ブラバムブラバム・BT19-レプコポールポジションを獲得した。平均時速は80.779 mph (130.001 km/h)であった。ブラバムに続いたのはフェラーリのバンディーニで、ブラバムとフロントローを占めた。2列目はホンダのサーティースとブラバムデニス・ハルム、3列目はロータスジム・クラーク(2リッターのクライマックスV8エンジンを使用)とBRMのジャッキー・スチュワートが占めた[9]。当時のモナコGPは決勝への出走台数が16に制限されていて、少なくとも3年間F1マシンを製造していたメーカー[注 1]には自動的に決勝への出走権利が与えられ、残りのドライバーとグリッド順位は予選の結果によって決定された。ペドロ・ロドリゲスは予選最下位に終わったが、所属するクーパーが決勝への出走権利が与えられていたため、最後尾グリッドで決勝へ進出した[10]。イーグル移籍初戦のギンサーは予選落ちを喫し、本レースを最後にF1から引退した[5]

決勝

スタート直後の数周は波乱含みの展開だった。バンディーニがリードした後、ブラバムのレプコエンジンがブローした。ブラバムは回避行動を取って接触したブルース・マクラーレンジョー・シフェールの前でスピンした。シフェールはマシンにダメージを負い、修理のためにピットインしなければならなかった。ブラバムはレースを続行するが、ミラボーから港までに大量のオイルを撒き散らしてリタイアした。クラークはそのオイルでスピンし、エスケープロードへ逃れた[11][12]

2周目にクラークが後方へ沈む一方、ハルムとスチュワートはブラバムが撒き散らしたオイルでスピンした首位のバンディーニを抜いていった。ハルムは6周目までリードするが、7周目にスチュワートがハルムを抜いて首位に立つ。しかし、14周目にスチュワートのクラウンホイールアンドピニオンが折れてリタイアし、ハルムが再びリードを奪った。2位のサーティースは28周目に首位ハルムを追い詰めた頃からエンジン音が乱れ始め、33周目に冷却水のラバーホースが破裂し、冷却水を全て失ってリタイアした[13]。これでバンディーニが2位、マクラーレンは3位に浮上してレースは落ち着いていく。クラークは14位から4位まで順位を戻したが、ショックアブソーバーの破損でリタイアし、エイモンが4位に浮上した[11][12]

レース後半にバンディーニはハルムに接近し始めた。マクラーレンはエイモンを抑え続けたがバッテリーの交換でピットインしたため、エイモンとグラハム・ヒルに抜かれて5位に後退した[11][12]レグ・パーネル・レーシングからBRMを駆るピアス・カレッジは、65周目にサン・デボーテを出てすぐの丘でスピンアウトし、コースを離れてリタイアした。

82周目に惨事は起きた。ハルムを追うバンディーニは、トンネルを抜けて港が見えるシケインに差しかかったところで右側のホイールが塀にかすってしまい、そのはずみでマシンは大きく左へカーブしてわら俵に乗り上げ、タイヤが外れたマシンは裏返しとなり、たちまち大きな火柱が立ち上った[14]。バンディーニは逆さまになったマシンの下に閉じ込められた。救助活動は絶望的に不十分で、消火活動は遅れ火災が鎮火するまで貴重な数分を要し、バンディーニはようやく救助され病院へ搬送された。救助の様子を撮影していたテレビカメラのクルーを乗せたヘリコプターが低い位置で飛行していたため、ローター・ブレードからの下降気流が残っていた炎をあおり、再び猛烈に燃え上がった[11][12][15]

その間、ハルムは誰にも迫られることなく最後までレースをリードし続けた。エイモンは残り僅か8周でタイヤがパンクして3位に落ち、ヒルが2位の座を得た[11][12]

レース後の影響

バンディーニは大火傷を負い、3日後に死亡した。この悲劇は、世界で最も困難なサーキットの1つでハルムの記念すべきF1初勝利を覆い隠した。このニュースが伝えられた時、多くのスタードライバーはインディ500の予選に参加するため、アメリカへ旅立っていた[11][12][16]。そして、これが100周を走る最後のモナコGPとなった。

本レースの惨事の後、グランプリサーキットでわら俵の使用は禁止された。耐燃性燃料システムや、ドライバー及びマーシャル用のポリアミドを使用した耐火性レーシングスーツの開発が加速され、テレビカメラのクルーが燃えているマシンの上をヘリコプターで低く飛ぶことは二度と許されなくなった[15]

バンディーニの死により、グランプリの歴史に連綿と紡がれていたイタリア人スタードライバーの火は消え、この事故をヒステリックに伝えるイタリアのマスコミの報道ぶりにうんざりしたエンツォ・フェラーリは、以後イタリア人ドライバーの起用に消極的な姿勢を取るようになった[2][注 2]

エントリーリスト

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
フランスの旗 マトラ・スポール 1 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ MS5 フォードコスワース FVA 1.6L L4 D
2 フランスの旗 ジョニー・セルボ=ギャバン
フランスの旗 ギ・リジェ 3 フランスの旗 ギ・リジェ 1 クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 D
イギリスの旗 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 4 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート BRM P261 BRM P60 2.1L V8 G
5 イギリスの旗 マイク・スペンス P83 BRM P75 3.0L H16
イギリスの旗 レグ・パーネル・レーシング 6 イギリスの旗 ピアス・カレッジ ロータス 25 BRM P56 2.0L V8 F
日本の旗 ホンダ・レーシング 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ RA273 ホンダ RA273E 3.0L V12 F
イギリスの旗 ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 8 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム BT19 レプコ 740 3.0L V8 G
9 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム BT20 レプコ 620 3.0L V8
イギリスの旗 クーパー・カー・カンパニー 10 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 F
11 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス
イギリスの旗 チーム・ロータス 12 イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス 33 クライマックス FWMV 2.0L V8 F
14 イギリスの旗 グラハム・ヒル BRM P60 2.1L V8
イギリスの旗 DWレーシング・エンタープライゼス 15 イギリスの旗 ボブ・アンダーソン ブラバム BT11 クライマックス FPF 2.8L L4 F
イギリスの旗 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 16 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン M4B BRM P56 2.0L V8 G
イギリスの旗 ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム 17 スイスの旗 ジョー・シフェール クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 F
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 18 イタリアの旗 ロレンツォ・バンディーニ フェラーリ 312/67 フェラーリ 242 3.0L V12 F
19 イタリアの旗 ルドヴィコ・スカルフィオッティ 2
20 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン
スイスの旗 ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム 21 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ 1 クーパー T81 マセラティ 9/F1 3.0L V12 F
アメリカ合衆国の旗 アングロ・アメリカン・レーサーズ 22 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル T1G ウェスレイク 58 3.0L V12 G
23 アメリカ合衆国の旗 リッチー・ギンサー
ソース:[17]
追記
  • ピンク地F2マシンで参加
  • ^1 - マシンが準備できず[18]
  • ^2 - 他のレースに出場したため欠場[19]

結果

予選

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 8 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 1:27.6 - 1
2 18 イタリアの旗 ロレンツォ・バンディーニ フェラーリ 1:28.3 +0.7 2
3 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ 1:28.4 +0.8 3
4 9 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム ブラバム-レプコ 1:28.8 +1.2 4
5 12 イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス-クライマックス 1:28.8 +1.2 5
6 4 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート BRM 1:29.0 +1.4 6
7 23 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 1:29.3 +1.7 7
8 14 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-BRM 1:29.9 +2.3 8
9 17 スイスの旗 ジョー・シフェール クーパー-マセラティ 1:30.0 +2.4 9
10 16 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-BRM 1:30.0 +2.4 10
11 2 フランスの旗 ジョニー・セルボ=ギャバン マトラ-フォード 1:30.4 +2.8 11
12 5 イギリスの旗 マイク・スペンス BRM 1:30.6 +3.0 12
13 6 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM 1:30.6 +3.0 13
14 20 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 1:30.7 +3.1 14
15 10 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント クーパー-マセラティ 1:30.8 +3.2 15
16 15 イギリスの旗 ボブ・アンダーソン ブラバム-クライマックス 1:30.6 +3.0 DNQ
17 1 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-フォード 1:31.0 +3.4 DNQ
18 22 アメリカ合衆国の旗 リッチー・ギンサー イーグル-ウェスレイク 1:31.1 +3.5 DNQ
19 11 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス クーパー-マセラティ 1:32.4 +4.8 16 1
ソース:[20]
追記
  • ピンク地F2マシンで参加
  • ^1 - ロドリゲスはあらかじめ決勝出走の権利が与えられていた[10]

決勝

順位No.ドライバーコンストラクター周回数タイム/リタイア原因グリッドポイント
1 9 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム ブラバム-レプコ 100 2:34:34.3 4 9
2 14 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-BRM 99 +1 Lap 8 6
3 20 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 98 +2 Laps 14 4
4 16 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-BRM 98 +3 Laps 10 3
5 11 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス クーパー-マセラティ 96 +4 Laps 16 2
6 5 イギリスの旗 マイク・スペンス BRM 96 +4 Laps 12 1
Ret 18 イタリアの旗 ロレンツォ・バンディーニ フェラーリ 81 事故死 2
Ret 6 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM 64 スピンオフ 13
Ret 12 イギリスの旗 ジム・クラーク ロータス-クライマックス 42 サスペンション 5
Ret 7 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ 32 エンジン 3
Ret 17 スイスの旗 ジョー・シフェール クーパー-マセラティ 31 油圧 9
Ret 4 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート BRM 14 ディファレンシャル 6
Ret 10 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント クーパー-マセラティ 14 ギアボックス 15
Ret 23 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク 4 燃料ポンプ 7
Ret 2 フランスの旗 ジョニー・セルボ=ギャバン マトラ-フォード 4 インジェクション 11
Ret 8 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 0 エンジン 1
DNQ 15 イギリスの旗 ボブ・アンダーソン ブラバム-クライマックス 予選不通過
DNQ 1 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ-フォード 予選不通過
DNQ 22 アメリカ合衆国の旗 リッチー・ギンサー イーグル-ウェスレイク 予選不通過
ソース:[11]
ファステストラップ[1]
ラップリーダー[21]
追記
  • ピンク地F2マシンで参加

第2戦終了時点のランキング

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半5戦のうちベスト4戦がカウントされる。

脚注

注釈

  1. ブラバム、フェラーリ、クーパー、BRM、ロータス、ホンダの各ワークス・チームが該当。
  2. バンディーニの死後にエンツォが起用したイタリア人レギュラードライバーは、1973年アルトゥーロ・メルツァリオ1984年-1988年ミケーレ・アルボレートの2人のみである。なお、エンツォの死後にフェラーリのレギュラードライバーとなったイタリア人は1992年イヴァン・カペリのみである。

出典

  1. Monaco 1967 - Best laps”. STATS F1. 2019年6月2日閲覧。
  2. (林信次 1995, p. 42)
  3. (林信次 1995, p. 51)
  4. (中村良夫 1998, p. 208)
  5. (林信次 1995, p. 50)
  6. (林信次 1995, p. 36)
  7. (アラン・ヘンリー 1989, p. 222)
  8. (林信次 1995, p. 48)
  9. 1967 Monaco GP”. ChicaneF1.com. 2014年2月22日閲覧。
  10. 1967 Monaco Grand Prix”. Motor Sport Magazine. 2019年6月2日閲覧。
  11. 1967 Monaco Grand Prix”. Formula1.com. 2014年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月26日閲覧。
  12. 1967 Monaco Grand Prix - WOI Encyclopedia Italia”. Wheelsofitaly.com (2014年2月6日). 2007年1月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年2月24日閲覧。
  13. (中村良夫 1998, p. 209-210)
  14. (アラン・ヘンリー 1989, p. 227)
  15. Richard Williams, “Enzo Ferrari A Life" (Yellow Jersey Press, ISBN 0-224-05986-6, 2002)
  16. Monaco Grand Prix | Circuit de Monaco, Monte Carlo | ESPN F1”. Espn.co.uk. 2014年2月24日閲覧。
  17. Monaco 1967 - Race entrants”. STATS F1. 2019年6月4日閲覧。
  18. XXV Monaco Grand Prix”. Motor Sport Magazine. 2019年6月4日閲覧。
  19. Monaco 1967 - Result”. STATS F1. 2019年6月4日閲覧。
  20. Monaco 1967 - Qualifications”. STATS F1. 2019年5月31日閲覧。
  21. Monaco 1967 - Laps led”. STATS F1. 2019年6月2日閲覧。
  22. Monaco 1967 - Championship”. STATS F1. 2019年3月19日閲覧。

参照文献

  • en:1967 Monaco Grand Prix(2019年4月10日 14:07:26(UTC))より翻訳
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
  • 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0。

関連項目

外部リンク

前戦
1967年南アフリカグランプリ
FIA F1世界選手権
1967年シーズン
次戦
1967年オランダグランプリ
前回開催
1966年モナコグランプリ
モナコの旗 モナコグランプリ 次回開催
1968年モナコグランプリ
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